石牟礼道子『苦海浄土』、水俣病発端の地「百間排水口」を訪れた

本に出てた場所に行く

 2021年9月、アメリカ人の写真家、ユージン・スミスの水俣での取材体験を描いた映画「MINAMATA」を観た私は、水俣病を語った石牟礼道子の小説『苦海浄土』を読み、水俣を一度は訪ねるべきと強く思いました。その年の12月、九州に行く機会を得た私は、「水俣市立 水俣病資料館」を見学した後、汚染された土壌を埋め立て整備された緑地公園「エコパーク水俣」内を歩いて、小説に出ていた水俣病発端の地点といわれる「百間排水口」に向かいました。
 その排水口は、今は浄化処理された排水が流れていました。しかし1932年から1968年まで水銀化合物が流され続けたこの場所を前に、私は心臓の鼓動がいつもより大きくなるのを感じました。

石牟礼道子著 『苦海浄土 わが水俣病』(抜粋)

茂道を越えて鹿児島県出木市米ノ津、そして熊本県側へ、国道三号線沿いに茂道、袋、湯堂、

出月、月ノ浦と来て、水俣病多発地帯が広がり、百間の港に入る。百間から水俣の市街に入

り、百間港に、新日窒水俣工場の工場排水口がある。

 

映画「MINAMATA」を観て、『苦海浄土』を読み、水俣を訪れた

  2021年9月、私はアメリカ人の写真家、ユージン・スミスが水俣病を取材した様子を描いた映画「MINAMATA」を観ました。そこに映し出された水俣病の実態に驚いて、すぐに水俣病を語った石牟礼道子の小説『苦海浄土』を読みました。そして、そこに描かれた水俣を一度は訪ねるべきと強く思いました。

水俣病は、昭和7年から排出されたメチル水銀が、水俣地区の人々の命、生活を破壊した日本の4大公害病の一つ

 水俣病は昭和7年から36年もの間、メチル水銀がチッソ水俣工場から工場排水とともに水俣湾に排出されたことを起因とする日本の4大公害病の一つです。水俣地区に住む人々は、水銀汚染された魚介類を通じて摂取したことで神経障害を中心とした重篤な健康被害を受け、住民の生活は破壊されてしまいました。

汚染土壌を埋め立てた緑地帯「エコパーク水俣」内にある「水俣市立 水俣資料館」に入館

 私は水俣駅前からバスで15分ほどの所にある「水俣市立 水俣病資料館」を訪ねました。同館は汚染された土壌を埋め立てた広大な緑地帯「エコパーク水俣」の中に位置していました。訪ねた日が12月の平日のためか人影はまばらな印象です。 同資料館は水俣病の事実を記録・伝承する場所と同時に、水俣の復興や環境再生の取り組みも紹介する役割を担っていました。展示内容は、水俣病の歴史や被害の実態、患者の証言から環境回復の取り組みなど写真や映像、資料などを通して水俣病の全体像を知ることができるものでした。石牟礼道子の小説『苦海浄土』も展示の重要な一部として紹介されています。

水俣病の全体像を知ることが出来る水俣病資料館、被害者の視点から命の尊厳を訴えた小説『苦海浄土』は、共に過去を学んで未来に教訓として伝える役割を担う

 作家、石牟礼道子は小説『苦海浄土』において水俣病を単なる「公害病」としてでなく、水俣地区に生きる人々の視点から、被害者の苦しみや破壊された漁村の生活と文化、命の尊厳を、詩的な表現で深く私たちに訴えていました。
アプローチは違いますが、水俣病資料館と小説『苦海浄土』は共に、過去を学んで未来に教訓として伝える役割を担っています。

水俣病発端の地である「百間排水口」を前に、自分の心臓の鼓動がいつもより大きくなるのを感じる

 私は資料館の展示内容を一通り観た後、「エコパーク水俣」の中を通り、水俣病発端の地である「百間排水口」に向かって歩きました。
 約20分ほどでたどり着いた排水口は、現在は浄化処理された排水がとうとうと流し出されています。ここが1932年から1968年までの間、水銀化合物が流され続け、『苦海浄土』の世界を生み出してしまった場所です。私は、自分の心臓の鼓動がいつもより大きくなるのを感じました。
 

国道3号線に掲げられた看板

病名に「水俣」の地名を使うことに反対する看板を見た 

 百間排水口から水俣駅に戻る途中、国道3号線沿いに、病名に「水俣」という地名を使うことに反対する看板を目にしました。病名改正を求める一部団体や住民の声です。
 病名に「水俣」という地名が使われることは、公害の町としてのイメージから、言われなき差別や偏見を生み出してしまう現実があります。加害企業の名を冠する事もなく、「地域そのもの」に非がある病気と思われることは、あってはならない事です。自分や家族が住む町の名に病名が付いているとしたらどう思うか、想像せざるを得ません。
 「水俣病」は名付け方の他、患者認定や百間排水口の保存問題など、終わることのない課題を多く抱えています。

追記写真

上右写真「百間排水口」の説明文をあらためて表記します↓

百間排水口は、水俣病原点の地です。 
 この排水口を通じて、昭和7(1932)年から昭和43(1968)年まで、チッソ(株)水俣工場において酢酸等の原料となるアセトアルデヒドの 製造工程で副生されたメチル水銀化合物が工場排水とともに排出され(一時期、水俣川河口へ排出)、水俣湾は汚染されました。その ため、八代海(不知火海) 一円に水俣病が発生しました。
 水俣湾に排出された水銀量は約70〜150トン、あるいはそれ以上とも言われ、百間排水口付近に堆積した水銀を含む汚泥の厚さは4m に達するところもありました。
  昭和52(1977)年、熊本県は汚泥を除去する公害防止事業に着手し、約14年の歳月と総事業費約485億円の巨費をかけて水俣湾に堆積した水銀ヘドロの一部浚渫・埋め立てを行い、平成2(1990)年、同事業は終了しました。
  現在、百間排水口からは、浄化処理された工場排水及び家庭からの生活排水が流れています。また、水俣湾の環境状況を把握すると ともに埋立地の適正な維持管理を継続的に行っています。
  一度、汚染・破懐された環境は、いかに莫大な費用と労力をかけても元に戻すことはできません。このことを、私達 は人類の教訓として受け止めていかなくてはなりません。 

 

プロフィール
morio

著者の名前 morio
 四国お遍路の体験ブログをやりはじめて半年が経った定年おじさんです。
 読書をして現地を訪ねたブログ「本に出ていた場所に行く」も数点出しました。
 今後は趣味のキャンプとヤマメ釣り、居酒屋巡りなども書き綴っていきます。
 

著者情報
・出身 :北海道
・年齢 :67歳(1958年生まれ)
・趣味 :読書、渓流釣り、キャンプ、居酒屋巡り

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